スタンド・バイ・ミーのキャストの子役たちの現在は?クリス、テディ、ゴーディ、バーン

「スタンド・バイ・ミー」公開から35年

「ショーシャンクの空に」「シャイニング」「グリーンマイル」「ミザリー」等の映画でもおなじみの、スティーブン・キング原作の『スタンド・バイ・ミー』。
12歳の4人の少年のひと夏の冒険を描いた名作です。ベン・E・キングによる同名の主題歌は、誰もが耳にしたことがあるはず。
23歳の若さで亡くなったリバー・フェニックスの瑞々しい演技も注目の作品です。

2021年で製作35周年を迎えるということで再び注目されていて、日本でも地上波で放送されますね。
35年たった現在、主演の彼らの近況を調べてみました。

主演だった4名のあれから、そして現在

コリー・フェルドマン(テディ役)

「スタンド・バイ・ミー」の撮影前からコリー・フェルドマンはすでに子役として活躍しており、「13日の金曜日完結編」「グレムリン」「グーニーズ」などに出演し、世の中に知られた存在でした。

翌年、彼はコリー・ハイムと一緒に「ロストボーイ」に出演し、彼らは「2人のコリー」としても知られるようになり、ティーンアイドルとして人気を博していましたが、1990年代までに、大麻やヘロイン中毒に苦しみ、映画に出演する機会がだんだんと少なくなっていきました。

しかし、2000年代になってからはさまざまな映画やテレビのリアリティ番組に出演しています。2011年にはケイティ・ペリーのPVに登場したり、2012年に英国のダンシング・オン・アイスにも出演し、彼のバンド「コーリーズ・エンジェルズ」で演奏したりもしています。

コリー・フェルドマンは幼い頃から虐待され、自分のことを「金づる」としか見ていなかった両親から、10代にして親権放棄と法的独立を勝ち取り、彼らのもとを離れました。

その他にもハリウッド映画界で受けてきた性的虐待についてメディアで暴露し、ドキュメンタリー映画を制作、公開もしています。
この映画ではコリー・フェルドマンだけではなく、コリー・ハイムの性的虐待も扱われており、彼もフェルドマンと同様に性的虐待で苦しんでいたことが明かされています。
ハリウッドにおける児童性虐待を暴露する決心がついた背景については「これ以上、子どもたちが病んだ変態たちの犠牲になるのを見たくない」と語っています。

コリー・フェルドマンはこれまでに3回結婚しており、現在は2016年に結婚したコートニー・アン・ミッチェルと、2番目の妻スージー・スピローグとの間にできた息子のゼンと一緒に暮らしています。

ウィル・ウィートン(ゴーディ役)

「スタンド・バイ・ミー」の翌年にはテレビ・シリーズの『スター・トレック:ネクスト・ジェネレーション』でウェスリー・クラッシャーを演じ、1994年まで出演し続けました。

2009年から本人ウィル・ウィートン役で『ビッグバン★セオリー ギークなボクらの恋愛法則』に出演しています。
「ギーク」は日本語で言うと「オタク」の意味ですが、ウィル・ウィートンは自他共に認めるオタクで、大のゲーム好きで、ブログはもちろん、ウェブ番組の司会もしています。

子役として活躍していた頃から、アニメの声優もしており、日本のアニメ『劇場版NARUTO―ナルト− 疾風伝』の英語吹替版にも足穂、シズクの役で出演しています。

ウィル・ウィートンは、最近「Yahoo!USA」のインタビューで、子役時代に両親から精神的虐待を受けていたと告白ししています。
俳優になるつもりはなかったのに、両親から強要され、元女優の母親が自分のエージェントに「ママと同じことをしたい」と言うように仕向けられたそうです。父親は医療専門家で、彼を精神的にコントロールしていたそう。
この状態に悩んでいた幼いウィル・ウィートンは、映画の中でゴーディが兄の死にトラウマを抱える状態を演じ、自分とゴーディが重なっていたと話しています。

今この映画を見るととても悲しい感情がよみがえってくるそうですが、その後作家になったゴーディと同じように、彼も作家になるという同じ道を歩んでいます。
自ら2003年に出版社を設立し、ブログに書いていたことなどを出版しています。フィクションも含め、自叙伝的な作品でもある『Just a Geek』(原題)を出版した彼は、自分の中のゴーディが影響を与えてくれたものだと思っているようです。

ウィル・ウィートンは1999年11月に女優のアン・プリンスと結婚。アンにとっては2度目の結婚で、連れ子と2人の間にも息子が生まれて、4人家族になりました。
結婚から20年以上経った今も夫婦の仲睦まじい姿がSNSに度々アップされています。

 

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ジェリー・オコンネル(バーン役)

10歳でスカウトされてクッキーのCMに出演し、11歳で『スタンド・バイ・ミー』に主演しスクリーンデビューします。
ニューヨーク大学でフィルムを専攻したジェリーは芸能活動よりも学業中心の生活をして、大学ではフェンシング部のキャプテンも務め、卒業後に俳優業を再開します。

大学で学んだ知識を生かして、1995年から出演したドラマ『スライダーズ』では5つのエピソードの監督を務め、2004年には映画『ホワイト・プリンセス』で、脚本とプロデュースも手がけたりしています。

『スクリーム2』『カンガルー・ジャック』『アグリー・ベティ』など、俳優業を再開してからはコンスタントにテレビや映画に出演しています。
『ビッグバン★セオリー』では、『スタンド・バイ・ミー』で共演したウィル・ウィートンと子役時代以来の共演を果たています。

『スタンド・バイ・ミー』では太めでおっとりとしたバーンを演じていましたが、現在はかなり痩せて筋肉質な体形です。
プライベートでは2007年、女優で元モデルのレベッカ・ローミンと結婚し、2008年に双子の女の子、ドリーとチャーリーが生まれています。

近年ではテレビ番組の司会も務めたりと活躍の幅は広がっています。

リヴァー・フェニックス(クリス役)

リヴァー・フェニックスは、現代で言えば「ジョーカー」で主演のホアキン・フェニックスの兄と言ったほうがわかりやすいのかもしれません。

リヴァー・フェニックスの両親は生粋のヒッピーであり、薬物にのめり込み、薬物から抜け出すために「神の子供たち」という性的虐待によって神の愛を表現するカルト宗教に入団します。
そんな親の元で幼い頃から南米各地を転々とし、肉体労働や路上ライブでギターを演奏するなどして小銭を稼ぎ、決して裕福とはいえない生活を余儀なくされました。
1978年に宗教を脱退してからは新しい生活をスタートさせるべく、姓を「フェニックス」に改名して一家はアメリカに戻り、両親が仕事を見つけてロサンゼルスに定住。
兄妹で小遣い稼ぎのため路上で音楽を演奏していたところ、エージェントにスカウトされ、1982年に俳優デビューします。

「スタンド・バイ・ミー」公開後は人気もうなぎ上りで、日本では雑誌の人気投票でも1位の座をキープし、アイドル扱いされるほど大人気でした。
「スタンド・バイ・ミー」のプロモーションで1987年4月に初来日し、「笑っていいとも」にも出演しています。

1988年出演の『旅立ちの時』でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、次々と映画へ出演し、スターダムへの階段を駆け上がっていきます。

1991年の『マイ・プライベート・アイダホ』ではヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞します。
2度目にして最後の来日となったのは1991年6月、『マイ・プライベート・アイダホ』のプロモーション来日でした。

1993年のハロウィーンのロサンジェルスで、当時ジョニー・デップがオーナーの1人だったクラブ『ザ・ヴァイパー・ルーム』の入口で倒れ、救急隊がかけつける前に息を引きとりました。
コカインとヘロインの過剰摂取による事故死という見解で、検死の結果、体内からコカインが検出されています。

「スタンド・バイ・ミー」では大人になったクリスは弁護士になるも、事件に巻き込まれて命を落とし、その新聞記事をゴーディが読むシーンから本作が始まるのですが、奇しくもリヴァー・フェニックスも若くして亡くなっているのでフィクションとはいえ、とても切ない気持ちになります。

リヴァー・フェニックスは、23歳で亡くなるまでに14本の作品に出演しました。

ちなみに弟のホアキン・フェニックスは昨年9月、ルーニー・マーラとの間に生まれた息子に「リヴァー」と名前を付けています。

 

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