2022年、野球界ではレジェンドと呼ばれる選手たちが引退を発表しました。メジャーリーグで通算703本塁打のアルバート・プルホス選手、プロ野球の福留孝介選手らです。
テニス界ではレジェンド中のレジェンド、ロジャー・フェデラー選手も引退し、多くの選手、ファンに衝撃を与えました。
そこで今回は、歴史的に偉大なテニスプレイヤー・フェデラーが残した軌跡についてまとめていきます!
目次
ロジャー・フェデラーの通算成績
まずは、ロジャー・フェデラー選手が残してきた成績をまとめます。どの記録もレジェンドと呼ぶのに相応しいものばかりです。特に世界ランキング1位連続在位期間は、史上最長の237週というとてつもない記録を残しています。
ちなみに、現世界No. 1選手のノヴァク・ジョコビッチでも122週なので、いわゆるアンタッチャブルレコードと言っても過言ではないでしょう。
- グランドスラム優勝:20回(歴代3位)
- グランドスラム連続決勝進出:10大会(2005年ウィンブルドン〜2008年全米オープン)
- ツアー優勝:111回(シングルス103回、ダブルス8回)
- マスターズ:1,000優勝 28回
- ツアーファイナルズ出場:17回(史上最多)
- ツアーファイナルズ優勝:6回(史上最多)
- 世界ランキング1位在位:310週
- 世界ランキング1位連続在位:237週(史上最長、2004年2月2日〜2008年8月11日)
- 年間No.1:5回
- グラスコート連勝記録:65連勝(2003年〜2008年)
- 2008年北京五輪:金メダル
- 2012年ロンドン五輪:銀メダル
ロジャー・フェデラーの経歴
2022年9月15日、ロジャー・フェデラー選手は翌週のレーバーカップをもって引退することを表明しました。フェデラー選手の引退表明を受け、レーバーカップにはジョコビッチ選手、ナダル選手、マレー選手の「Big4」が集結。ナダル選手とのダブルスで、現役生活に幕を降ろしました。
ここからは、引退までにフェデラー選手が残してきた戦歴や経歴を特に重要なポイントに絞ってご紹介していきます!
ジュニア時代
フェデラー選手がラケットを握ったのは3歳の時で、本格的に始めたのは8歳の時でした。地元のテニスクラブで力をつけ、15歳の時には18歳以下のカテゴリーでスイスチャンピオンになり、イタリアの世界大会でも優勝をしています。16歳でジュニアの世界ランキング1位になりました。
プロ転向(1998年)
16歳からはプロの試合にも出場するようになりましたフェデラー選手は、17歳から本格的にツアーを転戦。302位からのスタートとなった世界ランキングも、1年で64位まで押し上げました。
シドニー五輪~グランドスラム初制覇(2000年~2003年)
プロ転向後も順調に世界ランキングを上げていき、2000年のシドニー五輪で4位に入ります。
2001年のウィンブルドンでは、当時ウィンブルドン7連覇(1993年〜2000年)を達成するなどの一時代を築いていたピート・サンプラス選手と4回戦で激突しました。3時間41分にも及ぶ試合を3-2(7-6(7), 5-7, 6-4, 6-7(2), 7-5 )のフルセットの末、大金星をあげました。この一戦で大きな注目を集め、一躍時の人となったフェデラー選手。
2002年はグランドスラムでは不本意な戦いではありましたが、APT500や250では優勝を果たし、ついに世界ランキングでトップ10入りをします。
そしてついに、2003年ウィンブルドンで優勝を果たし、念願のグランドスラム初制覇を果たしました。
世界ランキング1位へ(2004年)
2004年、全米オープンで優勝すると2月2日に世界ランキング1位に上り詰めました。全豪オープンでは3回戦敗退となりましたが、全仏オープンとウインブルドンで優勝、年間3冠を達成しました。アテネ五輪では、スイス代表の旗手も務めました。
歴代最長連続世界ランキング1位へ(2007年)
その後も成績を残し続け、2007年8月27日には世界ランキング1位の連続在位週で、シュテフィ・グラフ選手が持っていた最長記録(186週)を塗り替え、12月には「200週」に到達しました。
キャリアグランドスラム達成(2009年)
2007年にはウインブルドン5連覇、全米オープン4連覇(史上最多)を達成。そして、2008年全米オープン5連覇を達成、北京五輪でスタン・ワウリンカ選手とペアを組んで金メダルに輝きました。
2009年には、全仏オープンでクレーのキングでもあるナダル選手を3−0(6-1, 7-6, 6-4)で破り、悲願の全仏オープン初優勝を果たして、史上6人目となるキャリア・グランドスラムを達成、併せてサンプラス選手と並び歴代1位となる四大大会14度目の優勝を挙げました。
ツアー通算1,000勝、グランドスラム300勝(2015年~2016年)
2010年以降は若手選手の台頭などもあり、世界ランキング1位から陥落などもありながら、APTツアーファイナルでは史上最多優勝回数の6回を記録するなど、意地を見せてきました。
2013年に背中の怪我を患い苦しみますが、2014年にデビスカップの優勝に貢献、2015年には史上3人目のツアー通算1,000勝を記録しました。
2016年の全豪オープンの3回戦を突破したことで史上初のグランドスラム通算300勝を記録しました。
歴代最年長世界ランキング1位、グランドスラム優勝20回、ツアー優勝100回(2018年~2019年)
2018年には全豪オープン2連覇を果たし、グランドスラム優勝回数20回という大記録を達成しました。
その後もポイントを積み重ね、2月19日付で5年3ヶ月ぶり、歴代最年長36歳6ヶ月での世界ランキング1位復帰を果たしました。
2019年2月のドバイ・テニス選手権で優勝し、ツアー優勝回数100回という大台に到達しました。同年のウインブルドンの準々決勝で錦織圭選手に勝利し、ウインブルドン通算200勝をあげました。
引退表明(2022年)
その後は怪我に悩まされ、2022年全豪オープンを欠場したことで1月31日付の世界ランキングでは30位まで落ち、21年ぶりにトップ20から陥落しました。その後も全仏オープンとウィンブルドン選手権を欠場。
この時点で、前年のウィンブルドンから丸1年試合から遠ざかっており、1999年から22大会連続で出場してきた中でキャリア初の欠場となりました。
そして9月15日、翌週イギリスのロンドンで行われるレーバーカップを最後に引退すると発表しました。21日に開かれた会見では、大会初日のダブルス(ペアは長年ライバルとして切磋琢磨してきたナダル選手)が現役最後の試合になると発表しました。
試合はフルセットの末敗れましたがジョコビッチ選手、マレーも出場しBig4が終結し引退に花を添えました。
まとめ
ロジャー・フェデラー選手についてまとめてきました。かなりかいつまんでまとめましたが、残してきた記録が偉大なだけにかなりのボリュームになりました。
筆者が中学生でテニスを始めた時から世界ランキング1位で、プロの選手だけでなく一般人からも尊敬されてきた偉大な選手が引退されたことは非常に寂しいですが、次は指導者として第2、第3のフェデラー選手を育てていってもらいたいですね!